河内タカの素顔の芸術家たち。

河内タカの素顔の芸術家たち。
立原道造Michizo Tachihara  / October 10, 2021

Tachihara_Michizo
立原道造 Michizo Tachihara 
1914-1939 / JPN
No. 095

大正3年に日本橋区橘町(現:中央区東日本橋)に荷造用木箱製造を営んでいた家に生まれ、13歳にして自選の歌集や詩集をまとめる才能を発揮する。第一高等学校在学中から堀辰雄と室生犀星に師事し、堀が主宰する『四季』同人となる。1934年に東京帝国大学工学部建築学科に入学し岸田日出刀の研究室に所属、同じ学部には1学年下に丹下健三が在籍していた。卒業後、石本建築事務所に入所し「豊田氏山荘」を設計を手がける。詩集『萱草に寄す』と『曉と夕の詩』と立て続けに出版し建築と詩作の双方で才能を見せ、第1回中原中也賞を受賞するも結核を患い24歳の若さで没した。

若き詩人が設計した小さな家
立原道造

 第二次世界大戦が始まる直前の1939年に、若くして夭折した叙情的な詩人として知られているのが立原道造です。しかし、立原がもともと目指していたのは、詩人ではなく建築家になることでした。実際、彼は東京帝国大学工学部建築学科で学び、一学年下には丹下健三もいたのですが、在学中から抜きんでた存在で、丹下たちからも羨望されていたといいます。
 
 その立原が思い描いていた小さな家、いや小屋といったほうがいいかもしれませんが、それがさいたま市の別所沼公園の中にポツンと建てられています。立原は大学卒業後に建築事務所で働き始めた頃から、その事務所で働く恋人と自分が暮らすための家のスケッチを繰り返し描き、その数は50枚ほどにもなっていました。しかし、それからまもなくして、結核を患い24歳で亡くなってしまったため、ちゃんとした設計図がないままそれから長い年月が経ってしまったのです。

 そして、立原の没後60年を記念して建てられたのが、「ヒヤシンスハウス」と呼ばれている、生前の立原が思い描いていた小さな家です。この名前の由来は、立原が愛したギリシャ神話に登場する花にちなみ、命日の3月29日が「ヒアシンス忌」とされているからです。かのル・コルビジュエが最晩年に愛用した南仏のカップマルタンの小屋にも似たこじんまりとしたこの家にはキッチンと風呂がありません。そこにあるのは、窓の横に作りつけられた横長の作業机と自身がデザインした椅子、本棚とベンチ、テーブル、そしてトイレのみの必要最低限のスペースです。

 間取りがわずか2.4m×6.0mしかないヒヤシンスハウスは、小さな空間がゆえに機能的な間取りがされていて、ベッドのあるプライベートな空間とテーブルが置かれたパブリックな空間に分けられています。しかしそれほど狭さや圧迫感がないのは、コーナーに大きく開け放たれている窓に加えて、採光のための小さな十字窓からも自然光が入るようになっているからでしょうか(ちなみにこの十字は自身がデザインした椅子にも同じく施されていてどこか象徴的にも見えます)。

 当時の立原は、丹下や他の若い建築家たちがこぞって崇拝していたル・コルビジュエのことはそれほど好んでいなく、北欧のアルヴァ・アアルトらによる建築と自然と共存するような考え方に惹かれていたそうです。そう言われれば確かに、ル・コルビジュエの8畳ほどの小屋ではなく、アアルト自邸の小さな仕事部屋だったり、その外観にしても、後年、吉村順三が手がけた軽井沢の林の中の山荘に近い感じがします。

 「僕は室内にいて、栗の木でつくったもたれの高い椅子に座ってうつらうつらと眠っている。夕ぐれが来るまで、夜が来るまで、一日、なにもしないで」という詩を立原は残しているのですが、おそらくこの小さな空間の窓から景色を空想しながら詩作に耽り、まだ見ぬ自分の巣のスケッチを描いていたのかもしれません。全国から寄付を募って実現したヒヤシンスハウスは、若くして亡くなった才能溢れる一人の若者の思いが凝縮された小宇宙であり、それが形となって現在に残されているということが、一つの物語として心を打つのかもしれませんね。

Illustration: SANDER STUDIO

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『天才・立原道造の建築世界―Michizo Tachihara 1914-1939』(文芸社)わずか24年8カ月の生涯で、天才詩人・立原道造は何を遺したか。その作品と建築論を取り上げ、建築を文化・芸術として捉え直す一冊。

ヒヤシンスハウス
場所:埼玉県さいたま市南区 別所沼公園内
開室日:水・土・日・祝日 10:00~15:00
http://haus-hyazinth.org/page00-menu.htm


文/河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がけ、2011年長年に及ぶ米国生活を終え帰国。2016年には海外での体験をもとにアートや写真のことを書き綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行。現在は創業130年を向かえた京都便利堂にて写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した様々なプロジェクトに携わっている。この連載から派生した『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)を2019年4月に出版、続編『芸術家たち ミッドセンチュリーの偉人 編』(アカツキプレス)が2020年10月に発売となった。

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