河内タカの素顔の芸術家たち。
神秘的で不条理な世界 ジョルジョ・デ・キリコ【河内タカの素顔の芸術家たち】Carl Andre / June 10, 2024
神秘的で不条理な世界
ジョルジョ・デ・キリコ
20世紀を代表する巨匠ジョルジョ・デ・キリコの展覧会が、国内では10年ぶりに東京都美術館で開催されています。デ・キリコが好んでモチーフにしていたのが、光と影のコントラストが効いた広場や廃墟、顔のないマヌカン(=マネキン)、煙突や人の影や列車などです。また、ギリシャ彫像とゴム手袋のように、古代的なモチーフと現代的なモチーフが混じり合っていたり、歪んだ遠近法や辻褄があわない不思議な光景であるため、どこか観るものを不安にさせるというのが大きな特徴です。
若い頃から神経衰弱気味だったデ・キリコは、日常的に幻覚に悩まされていて、21歳の夏にフィレンツェのサンタ・クローチェ広場で不思議な啓示を受けたといいます。その2年後、今度はパリに向かう途中イタリア北部のトリノに立ち寄り、その街の広場やアーチ状の建築に心を動かされ「形而上(けいじじょう)絵画」という不条理な風景を描き始めるのです。形而上は英語で「Metaphysical(メタフィジカル )」、それは「形のないもの、超自然的なもの」、つまり目に見えるものや形のあるものを描くのではなく、その奥に潜むものを表現した一種の幻想絵画のようなものでした。
20代半ばから描き始めた「形而上絵画」シリーズによって、デ・キリコの名前は広く知られていきます。この発明的な作品はダリ、マグリット、タンギーなど若い画家たちに影響を及ぼし、後にパリから始まるシュルレアリスムの先駆者と祭り上げられます。しかしなぜかその名声から距離を置くかのように、デ・キリコは一転して古典回帰したような作品を描きはじめます。残念なことに、この転換はシュルレアリストたちからは好まれず、仲間だと思っていた画家たちとの関係も悪化していくことになります。そのことを不快に思ったデ・キリコは、「マティスは絵の形にすらなっていない」「ダリの不快な色彩は吐気を催させる」などと周囲の画家たちを公然と批判するようになっていくのです。
さらに歳月が流れた1939年頃からは、画家のルーベンスの影響を受けて「ネオ・バロック様式」と呼ばれた別の古典画風へと変わっていきます。しかし、この様式も評価されず、そのことに不満を抱いたデ・キリコは、なんと自身の過去の作品のレプリカを制作して販売し始め、さらには実際の制作年とは異なる昔の年号を入れるという危険なこともやらかすのです。デ・キリコがそんなことをやってしまった背景には、すでに自分の手元から離れた昔の作品ばかりが高値で販売され、自分にはなにも利益が入らなかったことへの苛立ちもあったからかもしれません。
このように奇怪な行為でも知られるデ・キリコの今回の回顧展ですが、「イタリア広場」「形而上的室内」「マヌカン」といったテーマに分けてこの巨匠の魅力を紹介しています。生涯描き続けたという自画像や肖像画、1910年代の「形而上絵画」、古典主義やバロック期の絵画に傾倒した作品、そして過去に描いてきたモチーフを再解釈した晩年の「新形而上絵画」など約100点の作品によって構成され見どころ満載の内容となっています。興味深いのは人気がひときわ高い「形而上絵画」と後年に描いた「新形而上絵画」が混じり合って展示されているところですが、デ・キリコには悪いのですがやはり昔の「形而上絵画」が良いクオリティだと感じるはずです。ただし、晩年に制作した部屋の中の太陽と月の絵や黒い影のような人物像などは、どれも現代的な新鮮さや視点の面白さがあり、この画家の知られざる側面が感じられたのは大きな収穫でした。
会場にも展示されてあるデ・キリコのポートレート写真を見ると、自我が強く気難しい人だったのだろうという印象を受けました。レプリカの制作や異なる制作年の書き込みだけでなく、旧作を否定し価値をおとしめたり、自作を贋作だと難癖をつけ美術館から撤去させたりという破茶滅茶な逸話も残っている画家デ・キリコ。しかし、そのような行為を妥協することなくやっていたのも自分に正直だったからで、我が道を突き歩んだそんな彼の実直な人間臭ささが、ぼくにはどこか愛おしくも思えてしまうのです。
展覧会情報
「デ・キリコ展」
会期:2024年8月29日まで開催中
会場:東京都美術館
住所:東京都台東区上野公園8−36
*神戸市立博物館へ巡回
会期:2024年9月14日~12月8日
https://dechirico.exhibit.jp/