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自分の仕事をつくることはできた? 写真と文:西村佳哲 (文筆とファシリテーション) #4August 28, 2025
2003年に『自分の仕事をつくる』(ちくま文庫)という本を書いた私自身は、自分の仕事をつくれたのか? という問いを片手に綴ってきました。
最近は他人のお手伝いが多くてそれが悩みです。悩みなのか? 書きながら考えてみましょう。
私は3年前、8年ほど暮らした移住先から東京に戻りました。けっこうヘトヘトで、その頃は「もう十分働いた」「もう休んでもいいんじゃないか」と考えていたんです。
それなりの年齢になったし。いろいろ体験できたし。これからは本を書いたり、ワークショップをひらいたり、他人に煩わされないマイペースな仕事ぶりでいいんじゃないかと。
と、のんびりしていたら次第に相談ごとが増えてきた。若い友人が立ち上げていた会社や団体がそれぞれ育って、売上もスタッフも増え、もう一度生まれ直す必要がある時期を迎えていたんですね。
その扱いが、本人たちだけでは難しい。第三者の存在が欲しいところだが、経営コンサルに頼むのは違和感があるし、誰でもいいわけじゃないし……と、たぶんそんな流れで相談が届くようになって、いまはいくつかの会社や組織を手伝っています。運用について話し相手になったり、ミーティングや合宿のファシリテーションを引き受けたり。
福祉に「伴走型支援」という言葉がありますが、自分のこれは「応援」という言葉のほうがフィットする。実際そういう気持ちだし。年齢的には少し若い彼らの仕事を「すごいなあ」と見上げているんですよね。
先週末はある友人の会社で、スタッフ採用に向けた丸一日のワークショップをファシリテートしていました。

一般的に採用では、求人者と求職者が「選ぶ」「選ばれる」関係になります。が、この日はちょっと違って。「この会社にこれから必要な働き手は?」というような問いをテーブルの真ん中に置き、その会社のスタッフと、応募してきた方々の計十数名が9時間、一緒に学び、一緒に考え合う場になった。
最後にあるスタッフが「採用は会社が一方的に選ぶものでなく、双方が互いに選び合う機会だと思う」と語っていて、あれは嬉しかったな。

で、この日にしても別の合宿やミーティングでも、一つひとつは「よかったよかった」という気持ちで家路につきます。
身についた経験や力を活かせているし、収入にもなっていて、いいことづくめ……なのだけど、ふとどこかつまらなそうにしている自分に気づくことがあるんですよね。
「なんか人の手伝いばっかりしているなお前は」、というか。
こんなことがありました。その日、冒頭に全員で短いインタビューを交わし合って自己紹介に代えるくだりがあった。そこでそこの代表が「ちゃんと軌道に乗ったら、会社はスタッフに任せて、自分は◯◯を書きたい」という話をポロッとした。
みんな「へー。そうなんですねー(笑)」と楽しげに聞いていたのだけど、私には「なぬっ」という感覚が生まれたんですよね。「ちょっと待って!」という気持ちが浮かんできて、あれは面白かったな。
自分が書きたいんでしょうね。◯◯を。これまであまり考えなかったけど。
社会は人々が手がけた無数の仕事でできているわけですが、その大半について私はお客さんです。客の立場で「めっちゃいい」とか「イマイチやな」と気楽に享受している。
でもたまに「なぬっ」となる瞬間がある。
◯◯に限らず、自分がお客さんでは済まないなにかと不意に出合うことがあって、表向きは採用ワークショップの進行役を務めながら、内側では非常ベルが鳴り、館内放送が響いている。
「ちょっと待って」「それ俺がやりたいんだけどな」とか。
だから最初の「自分の仕事をつくることはできたのか?」という問いに戻るとねえ。なんなんでしょう。
「足るを知る」という言葉がありますよね。でも、こと「自分の仕事」についてはなんとも言えないな。知るべきとも、知ったこっちゃないとも言いがたい。つくりつづけるんでしょう。
現場からは以上です!
edit : Sayuri Otobe
文筆とファシリテーション 西村 佳哲
