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大きい子にも旅をさせよ。リトアニアのちいさな町でジョナス・メカスの生家を訪ねる方法。 連載コラム : 在本彌生 #2February 11, 2025

大きい子にも旅をさせよ。リトアニアのちいさな町でジョナス・メカスの生家を訪ねる方法。 連載コラム : 在本彌生 #2

映像に関わる仕事についている私にとって、リトアニアといえばジョナス・メカスだ。1922年生まれ、北リトアニアの田舎・セメニシュケイから、ナチスの侵攻をのがれるべく長く苦しい旅を経て、アメリカに渡ったメカスさん。詩人で映像作家で、何より自らの人生を愛した人だとおもう。映画『リトアニアへの旅の追憶』の中で、母や親しい人たちと過ごしたこの上なく幸せに満ちた故郷のセメニシュケイでの時間が描き出されている。メカスさんもすでに天に召されている今、セメニシュケイに行ったとて同じ光景があるわけではないだろう……。私は彼の地に行くことを躊躇していた。

それでも旅の最後の日になって行かないと後悔するように感じて、朝一番の撮影の後、大急ぎで出かける用意をして長距離バスに飛び乗った。このバスに乗れたら、日があるうちにセメニシュケイまで着ける。あちらに泊まるつもりでバスの中でオンラインサイトから安宿を予約し、ビリニュスからバスを二度乗り継いで4時間ほどで隣町のビルジャイに到着した。

大きい子にも旅をさせよ。リトアニアのちいさな町でジョナス・メカスの生家を訪ねる方法。 連載コラム : 在本彌生 #2
大きい子にも旅をさせよ。リトアニアのちいさな町でジョナス・メカスの生家を訪ねる方法。 連載コラム : 在本彌生 #2

さて、ここからセメニシュケイまでの20kmは車で向かうしかない。ビルジャイも小さな町ゆえ、バスステーションのまわりにタクシーは見当たらない。町の人にどう行けば良いか聞いてみようと目の前にあったティーショップに入った。

お茶をオーダーするためお店にいた男性に声をかけると「もうお店を閉めるところなんだ」と言われた。「えーと、それなら、ここではどうやってタクシーをつかまえたらいいのですか? セメニシュケイというところに行きたいんですが……」と彼に尋ねた。「何しに行くんですか?」と聞かれ「映画で見たジョナス・メカスが住んでいたところを見てみたいんです」と私。「彼の家があったところまで行きたいの?」「はい、そのためにここまで来たので」と。

すると男性は「それなら僕が車で連れて行きますよ、ちょっと待っていてください、店を閉めるので」と言った。(むむ、これはちょっとうますぎる話、何かの事件に巻き込まれるやつだろうか??)そう警戒した私の怪訝な表情を察知した男性は、すかさず「僕はダニエル、妻も一緒に連れて行くよ、僕らは隣町に住んでいるけどメカスの住処だったところまでは知らない、行ったことがないから、この際君と一緒に行きたいからさ」と言った。(それなら安心かな?)何かしらお礼をさせてもらうとして、この親切なオファーをありがたく受けよう、そう思った。

この辺りの人からすると車で移動していないなんてありえないのだろう。彼は妻に電話して、事情を説明しているようだ。あっという間に電話を切ると「10分で妻がここに来るから、そうしたらすぐに出かけましょう」と彼。店じまいを終わらせ、店のすぐ脇に停めてある車の前で妻を待った。3分もせずに金髪で細身の若い女性が微笑みながらこちらに向かって歩いてきた。朗らかな女性でホッとする。「はじめまして。さっき会ったばかりなのにすっかりお世話になっています」と私。「ようこそ、こんな田舎までよく来ていただきました」と妻。彼女が来たらグンと場が和んだ。私たちはダニエルの車に乗り込みすぐに走り出した。日本に関する質問や、家族はいるのかとか、リトアニアの食事は口に合うかと聞かれ、素直に答える。実際、この清々しい季節のリトアニアで食事の不満はなかった。妻のシルビアは始終感じが良かった。

大きい子にも旅をさせよ。リトアニアのちいさな町でジョナス・メカスの生家を訪ねる方法。 連載コラム : 在本彌生 #2
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車でほんのしばらく走ったらそのあとは見渡す限り金色の麦畑の景色になる。こんなに人が少ないのに、遥か向こうまで続く麦のみのりのなんとゆう豊かさ! 前にも後ろにも車はいない。走り始めて20分ほどで、グーグルマップにピンが立っている「メカスの生家跡」の大きな岩のモニュメントの前に着いた。

大きい子にも旅をさせよ。リトアニアのちいさな町でジョナス・メカスの生家を訪ねる方法。 連載コラム : 在本彌生 #2
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辺りには畑以外にほとんど何もないのだが、道の向かいに廃墟が綺麗な形で残っていた。その廃墟の中を三人で覗いてみる。寝室のベッドにはクリーム色のシーツがかかっていて、入口の扉横のフックには分厚いコートまでかかっている。窓辺のレースのカーテンもそのままだ。廃墟だというのに不思議と居心地よく、薄気味悪い感じはなかった。家の外の井戸や部屋に残されたカレンダーなどを眺めていると、ここに暮らした人が過ごした時間がそのままこの場所にとどまって呼吸を続けているようだった。

大きい子にも旅をさせよ。リトアニアのちいさな町でジョナス・メカスの生家を訪ねる方法。 連載コラム : 在本彌生 #2
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大きい子にも旅をさせよ。リトアニアのちいさな町でジョナス・メカスの生家を訪ねる方法。 連載コラム : 在本彌生 #2

グーグルマップを見て近くにメカスさんの墓があることを知り、墓地を訪れてみることにした。墓地には、デザインが面白いたくさんの墓標が建てられていた。片っ端から墓標の名前をチェックして、三人で手分けしながらメカスさんの墓を探した。10分くらいして「あったぞ!」とダニエルの声が向こうのほうから聞こえた。その墓は確かにあった。なんとシンプルで潔いことだろうか! 木製の十字架に彫られた名前は確かに”JONAS MEKAS”。墓標の袂にちょろっと植え付けられた蔦の葉が、再生を象徴するかのように増殖していた。

さて、このお墓参りの後、私には意外な展開が待っていた。このつづきは来週に……。

edit : Sayuri Otobe


写真家 在本彌生

東京生まれ。雑誌、書籍、写真展などで作品を発表。世界各地の衣食住に根付いた美を求め撮影する。写真集に『わたしの獣たち』(青幻舎刊)、『熊を彫る人』(小学館刊)、『インド手仕事布案内』(小学館刊)など。

instagram.com/yoyomarch

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