MOVIE 私の好きな、あの映画。
〈unefig.〉主宰の山本千夏さんが語る今月の映画。『simplife』【極私的・偏愛映画論 vol.98】January 25, 2024
This Month Theme部屋と暮らしを、整えたくなる。
タイニーハウスの暮らしで見えた、エッセンス。
「タイニーハウス」という言葉を聞いたことはあったが、それがいつ頃どんな風に生まれ、ムーブメントにまで発展したかは知らずにいた。日本語では「小さな家」。知らないながらも何か自由にまつわるものなのだろうと考えた。狭いからといって窮屈だとは限らないし、ましてや不自由だとは決められない。なぜならその小ささには理由があり、住人それぞれが自分の手で選び取ったものだからだ。自らもタイニーハウスビルダーである竹内友一さんプロデュースによるドキュメンタリー『simplife』を観れば、アメリカ西海岸を中心としたいくつものユニークな実践と出会うことが出来る。タイニーハウスと一口にいっても、建物の形や構造、立地、自動車で牽引するモバイル型かどうか、一人暮らし、カップルや家族での同居、コミュニティでの緩やかな共同生活等の住まい方、定義さえも多岐にわたる。インタビューに答える人々は皆いきいきとして、いかに自身の家が身の丈に合っているか、その結果新しい扉が開かれ、今が充実しているかを話す。小さな空間の先に視界が広がっていく開放感に満ちている。もちろん、困難がない訳でもないが、限られた要素を活かし切る細かな工夫には真似したくなるようなアイデアもあり、誰のお仕着せでもない、家すなわち暮らし、そして人生を己の手中に取り戻し、しっかり離さずにいる者ならではの自信、誇りが伝わってくる。観る方はその態度や表情、言葉に清々しさを感じるのだろう。何を捨て、何を大切にするかには、各人が積み重ねた経験や培った哲学が表れる。
ドキュメンタリーの旅人の一人であるガブリエルが福島で東日本大震災に遭い、仮設住宅に住むことになった時の話には心動かされた。家の核心が語られていたと思う。奇しくも今年は元旦に能登半島地震が起こった。未だ寒さや暗闇に震え、安心して食べて寝ることも出来ない方たちを想うと胸が痛む。自然災害の多いこの日本で、タイニーハウスから得られるヒントは少なくない。全てを一気に変えることは出来なくても、一人一人が手綱を離さずに考え、行動に移すことが大きな一歩になるという希望を忘れずにいたい。
『simplife』を観ながら何度も思い出したのは『方上記』である。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」で始まるこの随筆の名は、鴨長明が晩年に住んだ方丈(一丈四方、約三メートル四方)の草庵に因む。人や住まいの無常について、それを身をもって体験することとなった五大災厄、不遇に見舞われた半生から出家までの回顧に続き、日野に構えた草庵の暮らしの素晴らしさが謳われる。ところが一転、最後には閑居に執着すること自体が往生の妨げになるのではという問いに至り、厳しく自分自身に投げかける。結局、問いには答えられず、念仏を唱えるところで筆はおかれる。この問いは、長明がこれまでの人生を通して嫌というほど身に染みてわかっていたであろうことが、ブーメランみたいに戻ってきて刺さったようなもので、相当に痛かったのではないかと想像する。しかし、目を逸らさず真っ向から受け止め、人間や物事の本質に触れることをやめなかった。この世に常と呼べるような何かがあるとしたら、それは無常であるということだろう。
映像に引き込まれながら、こうして思いを巡らせ旅したような時間はゆっくりと、それでもあっという間に終わりを迎える。取材の後日談は興味深い。インタビューを受けた内の数人が現在はタイニーハウスに住んでいないという。単純に飽きてしまった人もいるかもしれないし、タイニーハウスに住んでみてはじめて必要なことがわかった人、もうタイニーハウスさえ必要なくなり、どこにいても自由な人もいる。それぞれの状況は異なるが、一様にすっきりしたような顔をしていた。制限がもたらす自由を体感する装置として、タイニーハウスや方丈の草庵は最適だろう。その先に、手に入れたかに見える自由にさえも固執しない自由がある。そんな自由と共にある生き方のことを「simplife」と呼びたい。
illustration : Yu Nagaba movie select & text:Chinatsu Yamamoto edit:Seika Yajima