MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』選・文 / 正光亜実(「AMI MASAMITSU」デザイナー) / May 26, 2022
This Month Theme美しいものを使って、飾りたくなる。
好奇心に誘われるままに出合った、美しいアート。
好奇心が旺盛な人が好きだ。貪欲に色々なことを知りたい、経験したいという探究心が強い人と話すのは年代に関係なくとても楽しい。
このドキュメンタリーの主人公、ハーブとドロシーは好奇心の塊のような人たち。ふたりはニューヨークに住む平凡な老夫婦で、夫のハーブは郵便局員、妻のドロシーは図書館の司書として働き、非常に慎ましく生活していた。共通の生きがいは、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートなどの、当時の現代アート作品を購入し所有すること。1960年代に結婚後、「お給料で買える値段であること」「家に持ち帰れるサイズであること」というシンプルなルールのもとにコレクションを続け、有名無名関係なく彼らが生涯をかけて買い集めた作品は4,000点以上にもなる。
1992年にはコレクションのすべてを気前良くアメリカの公立美術館に寄贈することを発表し、全米で一躍注目を集める存在となった。有名になったアーティストの作品を数点売れば安泰な生活が約束されたにも関わらず、「だって私たちは夫婦共に公務員でしたから、税金から給料をいただいていましたのよ。だからアメリカの国民の皆さんにお返ししたかったのです」というドロシーの名言には心を打たれた。
彼らの審美眼について語られることが多いが、この映画の魅力は自分の意志を強く持ち、ものにまつわる情報や世の中の流れに左右されず、情動に身を委ね行動する美しさにあると思う。
「作品を見て欲しい」と夫妻の元に世界中のアーティストから作品が送られるようになってからも、好きなものは自分で決めると信念を貫き作品を送り返す。良いと思えるものがあったとしても、“自ら出合う”という点が抜け落ちれば心を満たす作品ではなくなってしまうのかもしれない。これは、思いがけない場所で思いもよらず良いものに出合えた時の方がより嬉しかったり、記憶に残ったりするのと同じだ。人との出合いもそうだと思う。
当時理解し難いとされたミニマルやコンセプチュアルといった現代アートに対しても、その新奇性に目を輝かせ、欲しいという欲求に常に素直であろうとする。おそらくほとんどの作品は月ごとの支払いで何年もかけて手に入れたのだろう。アーティストであり夫妻と長きに渡って交流のあったリチャード・タトルが、「2人が素晴らしいのは動物に深い愛情を注ぐことだ。うまく説明できないが、アートと動物の間には特別な繋がりがあると思う」と話す場面がある。完璧な理解が難しい対象に対するふたりの愛情深さや寛容さ、そして理解をしたいという本質的欲求を言い表している印象的なシーンである。
ふたりのコレクションは彼らの果てない探究心が紡いできた歴史とストーリーの凝縮であって、彼らにとってそれらを飾るかどうかは大した問題ではないのだ。表面的に美しいもので飾り、装うのではなく、心の満たし方、人生の彩り方についてふたりは教えてくれる。
何度観ても、消費者として、そして作り手としての自分の在り方を見つめなおすきっかけをくれる大好きな映画のひとつです。