MOVIE 私の好きな、あの映画。
〈smbetsmb〉アートディレクター・新保美沙子さんが「しつらえ」の美意識を学んだ、5本の映画。October 18, 2025
「美しい」を見つめ直すためのヒントを探った、&Premium143号(2025年11月号)「美しい、ということ」より、〈smbetsmb〉アートディレクター・新保美沙子さんの感性に響いた作品とシーンを特別に紹介します。
余白こそ、しつらえ。”静の設計”が場を導く。

モスクワからイタリアの田舎にある温泉街を訪れた詩人アンドレイと通訳の女性エウジェニア。二人は別々の部屋を取っていて、劇中ではアンドレイが宿泊した一室が描かれています。この部屋の質素なしつらえが美しくて印象に残りました。バスルームと外光が当たる部分だけが明るく、そのほかのスペースは影が深い。そして、広い空間にはポツリとベッドがひとつ。光と影のコントラストや余白の取り方に引き込まれます。実際このホテルには、もっとたくさんの家具が配置されていたようですが、タルコフスキーは、空間の密度を繊細に調整し、人が美しく存在できる余白を整えているように感じます。
ノスタルジア監督 アンドレイ・タルコフスキー
旧ソ連映画界の巨匠・タルコフスキー監督の長編映画6作目。自死したロシアの音楽家パベル・サスノフスキーの足跡を追う旅を続ける、詩人アンドレイ。イタリア・トスカーナ地方で狂人扱いされている、世界の終末を信じる男と出会い、ある約束をする。Nostalgia / 1983 / Italy, USSR / 126min.
ユーモア溢れる文字が、住まい手の想いを届ける。

「この家は、私たちの延長であり、精神的な広がりであり、解放でもある」。そう言葉を残したアイリーンが手がけたのは、環境と建物、家具の調和が細部まで行き届き、暮らす人の心地よさを第一に考えた住まい。印象的なのは、この家で過ごすうえでのマナーを、ユーモアを交えたフランス語で記しているということ。例えば、洗面所のコーナーシェルフには「軽いものだけ」というメッセージが添えられています。ほかにも、「おしゃべり禁止」と書かれた場所があったり、玄関の壁に「ゆっくり入ってください」という言葉を書き記していたり。家を訪れる人との言葉でのコミュニケーションまで、しつらえの一部に感じられます。
E.1027 - アイリーン・グレイと海辺の家監督 ベアトリス・ミンガー
家具デザイナーとして評価を集めていたアイリーン・グレイ。彼女の建築家としてのデビュー作が、恋人と過ごす南フランスの地中海沿いに建てた別荘「E.1027」。建築家のル・コルビュジエはこの家の芸術性を高く評価し、足繁く通った。そんな彼らの関係性も描かれた作品。E.1027 : Eileen Gray and the House by the Sea / 2024 / Switzerland / 89min.
必要十分な暮らしを支える、選び抜かれた道具。

時代は1970年代。自然豊かな土地に暮らす老夫婦の営みは、手仕事が中心でとてもプリミティブ。薪で火をおこし、井戸から水を汲み、薪ストーブの熱を使って調理をする。生活の動線も至ってシンプルで、コンパクトな平屋の居間には、あるべきものがあるべき場所に収まっています。繰り返す日常の中でユニークだったのが、ジュールの髭剃りのシーン。彼は壁に掛けた鉄製フレームの鏡を、外光が入る玄関の扉に掛け直します。そして、近くにあった椅子に洗面器を置き、明るい光を受けながら髭を剃る。家にある必要最低限の道具と自然環境を、状況に合わせて活用する。暮らしの知恵が生んだしつらえだと思います。
従兄ジュール監督 ドミニク・ブニシュティ
フランス・ブルゴーニュ地方の田園地帯にポツンと佇む平屋の一軒家に暮らす、鍛冶職人の老人ジュールと老女。自分たちなりの知恵と工夫を盛り込み、淡々と仕事や生活を繰り返す日常をドキュメンタリー的に追いかけた作品。自然とともにある生活の幸福感が滲んでいる。Cousin Jules / 1972 / France / 91min.
シンプルな仕事場と、緑溢れる庭が共存。

「グッド・デザインの10の原則」で、世界中のデザイナーにインスピレーションを与えるディーター・ラムス。タイムレスなデザインを手がける人物として有名ですが、本作で彼の人間的な生活や細部にまで目を配った住まいを見て、はじめてその奥行きを感じられた気がします。日本文化に影響を受けたラムス邸の庭は、まるで日本庭園のよう。光や風の通り道を作るため植栽の手入れはこまめに行い、盆栽は自らで剪定します。手を入れることで環境と調和を生み出す庭と、ミニマルな仕事場。一見対照的ですが、どちらも「丁寧に整える」という姿勢が貫かれており、その一貫性に彼のアイデンティティが表れています。
ラムス監督 ゲイリー・ハストウィット
ドイツ人インダストリアルデザイナー、ディーター・ラムスのドキュメンタリー作品。家電製品メーカーであるブラウン社と密接に関わり、日常生活の質を高めるプロダクトをデザインしたカリスマの仕事の哲学、日常の暮らしを丁寧にじっくりと追いかけた。Rams / 2018 / USA / 74min.
空間との向き合い方を教えてくれる光と影。

主人公のジェシカは、自身が見聞きした世界とその外側の世界に向き合い、ひとりそぞろ歩き、旅を続けます。その過程で訪れた美術館、立ち止まったのは広い空間にしつらえられた大きなガラス窓の一角でした。彼女の視線の先には、跳ね返った光を受けて現れる影が存在していて、余白や静けさが感じられます。その場をただ静かに観察する姿が、心に残りました。このシーンから得たものは、空間に「何を置くか」というよりも「何を置かないか」ということが大事だということ。空間に何かを詰め込まずとも、光を美しく取り込む余白があるだけで心が満たされる気がして。そんな感覚を、大切にしていたいと思います。
MEMORIA メモリア監督 アピチャッポン・ウィーラセタクン
監督の実体験に着想を得た、記憶を巡る旅の物語。コロンビアで暮らすジェシカは、ある日突然不穏な「爆発音」が耳に響き、以来その音に悩まされ、不眠症になる。音の正体に向き合いながら周囲の人間と「記憶」について語り合ううちに、やがて特別な感覚に出合う。Memoria / 2021 / Columbia, Thailand, France, Germany, Mexico, Qatar / 136min.
空間を観察することで、必要なものが見えてくる。
アートディレクターという職業柄、撮影や空間づくりの現場で「場」を築くことが仕事のひとつです。状況や目的に応じて、必要なものと不必要なものを瞬時に見極めることも求められている役割。プライベートでも、空間をしつらえることには意識的だと思います。そういった様々な経験や試行錯誤を経て、もてなしのためだけではなく、自分が心地よくいられる「しつらえ」をささやかにでも大切にしたいと考えるようになりました。映画はその向き合い方を学ぶきっかけを与えてくれる、鏡のような存在です。
「しつらえ」=「飾ること」という印象もあるかもしれません。一方で、足さないことで立ち現れる美しさにも目を向けてみたいと思います。まずは全体を俯瞰し、 家具がない空間を想像します。そうすると、光の入り方や風の流れなど、住居を取り巻く環境の特徴に気づきます。そのうえで、現状を観察。いちばん必要な要素を想像すると、自ずと選び取るべきものが見えてくる。必要なものは、自分のペースで少しずつ足していくことも、豊かな時間だと感じています。
映画はスタイルだけでなく、考え方のヒントも教えてくれます。美しいしつらえに心惹かれるとき、その背後にある価値観に思いを巡らせ、暮らしにどう生かすかを考えることで、感覚が耕されていくのだと思います。
新保美沙子〈smbetsmb〉アートディレクター
デザインユニット〈smbetsmb〉として、新保慶太とともにアートディレクション・デザインを手がける。ビジュアルメイキングの視点から、ブランド、プロジェクトに意味を与える総合的なデザインを行う。
illustration : Shigeo Okada text : Seika Yajima