小林エリカさん、森岡督行さんと考えた、 「セオリーがある」ということについて。 – Sponsored by Daihatsu CANBUS theory | & Premium (アンド プレミアム)

小林エリカさん、森岡督行さんと考えた、
「セオリーがある」ということについて。

小林エリカさん、森岡督行さんと考えた、 「セオリーがある」ということについて。
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小林エリカさん、森岡督行さんと考えた、
「セオリーがある」ということについて。

セオリーを持って、自分らしく生きる。
そう言葉にするのは簡単でも、実現するのはなかなか難しい。
そもそもセオリーってどういうことだろう?
作家・漫画家の小林エリカさんと『森岡書店』の森岡督行さん。
二人の表現者が語る、セオリーとは何か。セオリーを持つことの意味は。

森岡督行さん
森岡 督行
Yoshiyuki Morioka
『森岡書店』店主

1974年山形県生まれ。森岡書店代表。著書に『荒野の古本屋』(小学館文庫)、『800日間銀座一週』(文春文庫)などがある。共著の絵本『ライオンごうのたび』(あかね書房)が全国学校図書館協議会が選ぶ「2022えほん50」に選ばれた。現在、小学館「小説丸」オンラインにて『銀座で一番小さな書店』を、資生堂『花椿』オンラインにて『銀座バラード』を連載中。

https://soken.moriokashoten.com

小林エリカさん
小林 エリカ
Erika Kobayashi
作家・漫画家

1978年東京都生まれ。2014年『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島由紀夫賞候補、第151回芥川賞候補に。他に小説『最後の挨拶 His Last Bow』(講談社)や『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)をはじめ、“放射能”の科学史を巡るコミック『光の子ども1,2,3』(リトルモア)、はじめての絵本『わたしは しなない おんなのこ』(岩崎書店)、訳書『アンネのこと、すべて』アンネ・フランク・ハウス編、石岡史子日本語訳監修(ポプラ社)など多数。

https://erikakobayashi.com

——セオリーとは、時間や空間を超えてみんなが共有できるような考え方、そういうものではないか(森岡さん)

森岡さん
森岡さん
セオリーってなんだろう?  “経験に裏打ちされた考え方”とか、“ものの見方”のことかなあ、と、考えを巡らせていたのですが……思い出したことがありますので、そこからお話しさせてください。ついこの間、エリカさんと戦時中の銀座の話をしましたよね。
小林さん
小林さん
ありました。私はここ数年ずっと、戦前戦中の銀座界隈のこと、特に、東京宝塚劇場のことを調べていて、あのあたりで書店を営み、銀座の昔に詳しい森岡さんならば、もしやご存じなのではと思って聞いてみたのでした。
森岡さん
森岡さん
実は僕、偶然にも、1990年代の半ばにこの劇場でアルバイトしていたんです。
小林さん
小林さん
聞いて驚きました。戦前の劇場の建物は、そのままの形で1997年まで残っていたのですよね。
森岡さん
森岡さん
そうです。当時と同じ建物で、地下に楽屋食堂というのがあって、若き女優さんの卵たちに混じって僕もそこで食事をしていました。
小林さん
小林さん
銀座や有楽町でも空襲がありましたから、爆撃があると、当時そこに学徒動員されていた女学生たちもその地下に集まっていたそうです。
森岡さん
森岡さん
さあ、この話がどうやって本題につながるかということになりますが(笑)。僕は、エリカさんとお話ししていて、セオリーというものは、今であっても、100年前でも、東京でもアメリカでも、どこであっても共有できるような考え方。そういうものではないのかと思ったのです。だから戦争中に主流だった考え方や行為は、今となってはセオリーとして成り立たない。けれど、失われてしまったものごとの中にこそ、何かがあったはずです。
小林さん
小林さん
それを聞いて、森岡さんのおっしゃったことと裏表のようですが、私自身のセオリーについて思い至りました。歴史というものが、ある場所——たとえば劇場に、存在していたけれど、何も言い残さないまま亡くなってしまった人たちがたくさんいる。もしかすると、その消えてしまった声を集めて、過去を見ようとすることができるかもしれない。森岡さんが銀座の街を歩いて著書『800日間銀座一周』にまとめられたように、何十年も前にこの場所で、同じお菓子を食べている人がいたとか、この匂いは、100年前の当時の匂いと同じかもしれないとか。そういう断片を見つけることも同じですね。

——細かな断片を拾い、できるかぎり正確に近づけるように修復していく。
その行為は、私が創作するときの大切なセオリーです(小林さん)

森岡さん
森岡さん
エリカさんの2011年の著書『親愛なるキティーたちへ』では、戦時中、旧制高校の生徒だったお父様の日記と、同時代のアンネの日記とを照らし合わせていましたね。細やかな断片のコントラストによってイメージが広がっていく、そういうことがおありですか。
小林さん
小林さん
はい。細かなことを積み上げて、書き残されていない時間というものを、もう一度創作として作り上げていく。その行為は、私が表現する上でのひとつのセオリーです。キム・スムさんという韓国の小説家がいて、歴史的事実を詳細に調べ、そこから限りなく細かな断片を拾い上げて、丁寧に修復するような形でフィクションを立ち上げてゆく手法をとっています。彼女の作品を読んだとき、離れた場所に、共通するセオリーを持っている人がいたのだと、本当に嬉しく心強く思いました。私自身も、ものを書くとき、ひとりひとりの思い出を、どれだけの正確さを持って想像できるかを問われている気がしています。それは過去のことだけではなくて、今、遠くや近くにあることに対しても同じ。「戦争ってこうでしょう」というようなざっくりしたものではなく、ディテールを詰めていくことで立ち上がる正確さを求めていく。そういうセオリーによって作品を作っていきたいし、できることなら、そう生きていきたい。すると、街を歩いても見える景色が変わってゆくし、その場所が何百年前の人にもつながるという感覚を得られる。それはとても嬉しいことです。
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——世界の明るく豊かな一面を捉えようとする。
そうしたセオリーが、ある時から心の拠り所になっています。(森岡さん)

森岡さん
森岡さん
僕自身のセオリーについてですが、ひとつ考えたことがあるんです。今でこそ明るい性格と言われますが、以前の僕自身は、暗いほうに寄っていく、悪い面のほうを認識してゆく人間だったんですね。具体的に思い返すと、あまり語りたくない、秘めておこうと思うほどです。しかし、神田の古書店から独立した30代の頃、考え方を大きく変えまして、そこでなんとか存続できたという思いがあります。
小林さん
小林さん
どう変わったのでしょうか?
森岡さん
森岡さん
世の中には、いいことと悪いこと、明るいことと暗いことがある。人間の認識に、二つで一つという特徴があるなら、苦しみとか生きづらさではなく、明るい一方を担いたい、と。きっかけは詩人・谷川俊太郎さん。インタビューで「世界の豊かさを見る、私はそうしたい」と語っていて、僕もそうしようと思いました。会話を交わすとか、光がきれいであるとか、これから食べるランチはなんだろうと考えるのが豊かさです。世界の捉え方をセオリーというならば、僕はそれで今もなんとなく生きながらえていると思いますね。心の拠り所になっている。
小林さん
小林さん
セオリーは、心の拠り所でもあり、自分の芯や柱にあると思いますね。そこからどこまで遠くを見ることができるか、見えないものを見たつもりにならずに、もっと遠くへ進んでいけるかと考えることもまた、今の自分のセオリーなのかもしれません。
森岡さん
森岡さん
以前、エリカさんは「賢く、強く、美しくありたい」とおっしゃっていましたね。
小林さん
小林さん
はい。心にどれだけ真摯であれるか、というところなのかなと思います。

——セオリーが違うからといって相容れないことはない。
寧ろ、自分と違うセオリーを持っている人の美しさにハッとする(小林さん)

小林さん
小林さん
物語を創作するとき、小さな声にどれだけ耳を澄ませられるか。聞かれなかった声に、どれだけ真剣に耳を傾けようと行動できるか。そこに筋が通っている人は心底尊敬できます。先ほど話したキム・スムさん。それから、『チェルノブイリの祈り』などの著作で、聞き書きから文学を立ち上げているベラルーシのノーベル文学賞作家・スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんも本当にすごい。『苦海浄土』で水俣病患者の声なき声をすくい集めた石牟礼道子さんもそうです。そういう方たちの仕事を見ると胸を打たれます。森岡さんはいかがですか。
森岡さん
森岡さん
坂本龍一さん、石内都さん、杉本博司さん、三谷龍二さん。それぞれ、音楽、写真、工芸とジャンルは違うけれども、共通点を探すとしたら、単純と反復ということを連想します。単純というのは、引いてものの本質を見せること。反復というのは、ちょっとした違いを可視化していくこと。これを考えると、坂本さんの曲、石内都さんの「時間と痕跡」というコンセプト、杉本さんの『海景』、三谷さんのスプーンには通じる美意識がある。それを尊敬しているし、いいなと思います。
小林さん
小林さん
単純と反復という美を持っている人、その美意識がセオリーなのかもしれませんね。森岡さんご自身にもそういう面がありそうです。
森岡さん
森岡さん
日常のなかのひとつのセオリーとして、食事をした後、カトラリーや器が、どこにあるときれいかな、と組み合わせてみる、というのがあります。構成主義みたいに、ここに置くと画角が面白くなるかなと、割り箸を斜めにしてみたり。
小林さん
小林さん
(笑)。それはぜひ記録してほしいです。
森岡さん
森岡さん
何を残したか、並べること自体が好きなのかもしれないです。
小林さん
小林さん
それを聞いて思い出しました。私はスケッチする癖があるんです。道端に転がっているホースとか、吹き溜まりに吸い殻が落ちているところとか。他の人が見たら寧ろ掃除したいと思われるようなところに、自分にとっては美しいと思える瞬間や場所を見つけるのが好きなんです。
森岡さん
森岡さん
スケッチというのが、エリカさんならではで面白いですね。
小林さん
小林さん
スマホで撮影すると一瞬ですが、スケッチだとよく見えます。ゴミの落ち方とかティッシュの丸まり方とか、この一角がすごくいいんだ!と。他の人にとってはどうでもいい光景かもしれないけれど、私には愛おしい!みたいな。
森岡さん
森岡さん
鋭く切り取る、というよりは、拾う、という感覚に近いのでしょうか。
小林さん
小林さん
そうです、まさに「拾う」ことが私のセオリー。ああ、「拾う人」と「並べる人」というのは、はじめに私たちが話したセオリーの本質につながりそうですね! 拾って残したい作家の私と——
森岡さん
森岡さん
残したものをどう並べたら面白いかな、という書店主の僕。なるほど。
小林さん
小林さん
「拾いたい」と「並べたい」タイプで、私たちは違うけれど、それぞれですごく面白い。セオリーが違うからといって相容れないということはなくて、自分と違うセオリーを持っている人の美しさにハッとするし、自分にはないことだから羨ましい。セオリーというのは「自分らしさ」かもしれないと考えると、なるほどそうだな、と思います。この世には人それぞれ、たくさんのセオリーが混在しているというのは、いいですね。
森岡さん
森岡さん
その通りですね。セオリーという軸があるからこそ、互いによりかからず、なおかつ柔軟でいられるのかもしれませんね。
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小林エリカさん、森岡督行さんと考えた、 「セオリーがある」ということについて。

森岡さん、小林さんのセオリーを学ぶ本

森岡 督行さん

『生きる』 谷川俊太郎 詩/岡本よしろう 絵 (福音館書店)
『生きる』 谷川俊太郎 詩/岡本よしろう イラスト(福音館書店)

「生きていること いま生きていること……」。詩人・谷川俊太郎の代表作のひとつ、「生きる」が初めて絵本となった一冊。
「ひとつの作品だけを一冊で読ませるというのは珍しくて、子どもと一緒に読めるのがいいですね。娘の授業参観で、この詩が取り上げられたことがあります。有名な『生きているということ』に続けて『〜ということ』を書いてください。お父さん、お母さんの考える、生きるとはなんでしょうか。と聞かれたのです。そのとき僕から出てきた言葉は『生きているということ。ゆるすということ』でした。まさに、生きることのセオリーを問いかけてくる詩だと思います」

小林 エリカさん

『さすらう地』キム・スム著/姜信子・岡裕美 共訳 (新泉社) 『Lの運動靴』キム・スム著/中野宣子 訳 (アストラハウス)
『さすらう地』キム・スム著/岡裕美 訳/姜信子 解説(新泉社)
『Lの運動靴』キム・スム著/中野宣子 訳(アストラハウス)

旧ソ連によって強制移送させられた朝鮮民族について、語られなかった言葉をすくい集めた『さすらう地』と、民主化運動で亡くなった1人の学生の運動靴の「修復」がテーマの『Lの運動靴』の2冊を小林さんはセレクト。
「歴史的事実を詳細に調べ、フィクションを通して語りを立ち上げて書く、キム・スムさん。物語を創作するときに、小さな声にどれだけ耳を澄ませられるか。その手法=セオリーに本当に筋が通っていて、心から尊敬し、共感します」

photo:Shota Matsushima text:Azumi Kubota

この記事は、Daihatsu CANBUS theoryのスポンサードで製作したものです