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極私的・偏愛映画論『インド夜想曲』選・文 / 立野千重(「TACHINO CHIE」デザイナー) / November 25, 2021

This Month Theme静かな時間が流れている。

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シューベルトの弦楽五重奏曲の旋律が心に響きわたる。

十数年前、ノクターン好きな私は『インド夜想曲』を鑑賞した。シューベルトの弦楽五重奏曲に共鳴した物静かで抒情的な110分。以来、静けさに身を置きたいとき、浮遊していたいときにスクリーンに映す。

イタリア人の若い主人公・ロシニョルがインドで失踪した友人を探すため辿り着いたボンベイ。タクシーの搭乗シーンから始まる。言葉数の少ない青年の一人旅は、インドでありながら静寂さが際立ち、ポエティカルな情景が広がる。

ロシニョルは僅かな手がかりを基にボンベイ、マドラス、ゴアと友人の後を追う。お節介なタクシードライバーのマラーティー語らしき怒鳴り声、病院の一室を埋めくすカルテとは言い難い名前のみが記載された書類、冷徹を装う神智学協会の会長との問答、バスの待合室のアーハント(予言者)の占い等に翻弄されつつも、終始慇懃で深入りしない。どこまでもまどろんだ光景は写真集を捲るようで釘付けになる。

毎日ホテルを変えることを主義とする彼は、脳内の”思考”だけで荷物は十分と言わんばかりに、小さなヴァリースに身一つと小気味よい。無造作にポケットに入れたお札、飾り気のない白シャツ、履き慣れた革靴、余計なものを持たない優美な姿に見惚れる。

彼は友人を追うことを不意に止める。いつしか友人に自分の姿を投影し、自身の魂を探すようになっていた。最初から友人は幻影だったのかもしれないという想いがよぎる。ラグジュアリーホテルで知り合った女性の言った「断片を信用するな」という言葉。原作では「抜粋集(アンソロジー)にはご用心」とある。前後の文脈や見えない背景に気を配ること、物事を引いて見たり異なる角度から捉えてみたりすることの大切さを思う。効率を重視する余りそれらを蔑ろにし、解を逸る私たちへの啓示のように思えてくる。プールサイドの瀟洒なフィナーレにも心打たれる。

本作には密やかなレトリックとささやかなスリルが粛として、しかし色濃く散りばめられている。余白は多く、考える隙を与えてくれる。観るほどに味わい深い。

主人公の持つガイドブック、訪れるヴィクトリア駅、神智学協会、カラングート海岸、マンドビー・ホテル等実在する彼方此方。崇高な旋律浮き立つエンドロールの流れる頃には映画と現実の狭間で陶酔している私がいる。次回の鑑賞はとあるワンシーンで会話に出てくるポルトガルの伝統菓子パン・デ・ローを作って夜長に観よう。私自身、近い未来に小さな荷物を携え、お気に入りの革靴を履いての再訪を切に願う。

illustration : Yu Nagaba
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アントニオ・タブッキ原作の同名小説をフランスの映画監督、脚本家、アラン・コルノーが映像化。友人を招いた夜にもBGMとして流したくなる作品。主題曲のシューベルトの弦楽五重奏曲の旋律は一部始終を俯瞰して奏でているようで神々しく心に響く。
Title
『インド夜想曲』
Director
アラン・コルノー
Screenwriter
アラン・コルノー
ルイ・ガルデル
Year
1989年
Running Time
110分

「TACHINO CHIE」デザイナー 立野千重

金沢出身、在住。武蔵野美術大学卒業後、大手企業でアパレルデザイナーとして従事。退職後、渡仏留学。帰国後、2009年より2014年まで浅草とロンドンの手製靴工房で修業。2014年よ「TACHINO CHIE」を運営。自身がデザインした手製靴、手製鞄、装身具を発表。展示受注会を開催している。

tachinochie.com

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