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極私的・偏愛映画論『銀河ヒッチハイク・ガイド』選・文 / 土谷未央(菓子作家) / November 25, 2022

This Month Themeキッチンでのシーンが印象に残る。

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憧れのキッチンとは。

今の家に越してきて6年が経って、私はようやく、家のキッチンがどうあるべきかわかってきたような気がする。

6年の間にいろいろなことがあって、私の生活は少しずつ変化していき、家のキッチンに立つ時間も随分と増えた。そうなると、引き出しはもっと増やすべきだったとか、オーブンはガスが良かったとか、シンクの奥行きは少し短い方がいいなとか……。改善すべきところばかりが気になる今日この頃だ。

私にはずっと憧れているキッチンがある。『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出てくるキッチンだ。場所は宇宙船の船内。光る窓に顔をのぞかせると、欲しいものを感知して作ってくれる装置があり、食パンを切りながらトーストにしてくれる優れもののナイフもある。トースターでパンを焦がしたり、安全装置が働いてなかなか焼けないトーストにイライラしたりすることが日常である私には、理想的なナイフだ。そんな未来的なキッチンを見て、私は『銀河ヒッチハイク・ガイド』のファンになった。

物語の主人公は、うだつのあがらない紅茶をこよなく愛すイギリス人(地球人)のアーサー。彼には想いを寄せていた女性 トリシアがいたけれど、奇人として銀河帝国中で有名な宇宙人ザフォドに彼女を奪われてしまう。のちのち、宇宙船でトリシアと再会して話を聞くところ、どうやら彼女は、宇宙船の魅力的なキッチンに心奪われたことも、アーサーを選ばなかった理由のひとつだったらしい。

家は3回建てないとわからないというけれど、理想のキッチンは、生涯かけても解決しない難題のように感じる。時代が進みあらゆる技術の進歩を迎えても、キッチンに立つ人の「こうだったらいいのに」という夢や希望は尽きない。だからこそ、夢にみたようなキッチンを前にして、思わず人は平伏してしまうのだ。隣にいる地球人よりも、奇人な宇宙人を選んだトリシアのように。

“欲しいものを感知して作ってくれる装置”なんてのは、生きている間に手にすることは難しいかもしれないけれど、キッチンが私をこの家から離してくれない、それくらいに魅力的なキッチンをいつか持つことが、私のささやかな夢のひとつだ。

illustration : Yu Nagaba
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ブリティッシュジョーク満載のSF小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』を原作とする映画作品。小説は全世界で1,500万部売れ、今なおカルト的な人気を誇る小説ファンを裏切ることなく、映画化作品でも多くのファンを魅了し評価された。イギリスを代表する魅力的な俳優陣も見どころ。ところどころに散りばめられたチープな美術や地球が破壊されても全く悲壮感がない主人公は、オリジナルな魅力です。“ほどよくしょうもない”映画の最高傑作。ぜひ、紅茶を片手に観て欲しい。
Title
『銀河ヒッチハイク・ガイド』
Director
ガース・ジェニングス
Screenwriter
ダグラス・アダムス
Year
2005年
Running Time
109分

菓子作家 土谷 未央

東京都生まれ。多摩美術大学卒業。グラフィックデザインの仕事に関わったのちに製菓を学ぶ。2012年に映画と関連した物語性のある菓子を制作する〈cineca〉(チネカ)としての活動をスタート。また、菓子監修、アートワーク制作、執筆なども手がける。日常や風景の観察による気づきを菓子の世界に落とし込み、菓子の新しいカタチ、価値の模索、提案を行う。

cineca.si

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